IDSCサプリメントとしての考え方(^−^)
こんにちは(^−^)。よく「IDSC」ってどういう意味ですか?とご質問をいただきます(^−^)。
簡単にご説明しますと、「世界中に存在する健康の関する情報をみんなで共有しながらいつまでも元気に暮らしましょう。」 (^−^)という意味です。
なぜ世界中なのでしょう、日本人なのに。それは食習慣自体がインターナショナルになってきたからです。それだけです。
私たちの体は毎日の「食」で成り立っています。食べ物を消化分解して体の隅々に必要な栄養素を運び正常を維持する、これは年齢や環境とは別の問題ですね。その時々の「正常」は人々によって異なります。
合わせて完璧な体、というものも存在はしません。何かしらの弱い部分はすべての人が持ち合わせています。
目の前に食品が並べば誰だってなんでも食べたくなります(^−^)、興味・好奇心・食欲・などいろんな要素が関係してきますが、本来体というものは複雑多岐で宇宙と同じですが考え方はシンプルです、「生きることだけ。」ということです。
そして与えられた食環境に準じているわけでもありません、自分にとって不都合が続けばサインを出したり回復を目指したり、免疫で防いだりとまるで意識とは別物のなにかが自分の中にいて実はそれが自分を運営してくれているかのようにも感じます。
そう感じたことありませんか?
中飛ばしになりますが、そこには必ず「食」が関係しています。私はあまり好きな言葉ではありませんが「医食同源」という言葉があります、しかし今は医と食は資格的にも分類され医の分野で食を語ることはできても食の分野で医を語ることはできません。
実際病院などで食に関する質問を上げても観念論的な返事しか返ってこない、という経験者は結構いらっしゃいます。そうなると結局は結果が出る前に自分で食を管理し、結果に至らないように様子を見ることが一番の養生と考えるわけです。
その考えなくてはならない「至る結果」はこれも人それぞれです。見方として傾向性を自分で考え不足しているだろうと思う食品成分を補う、食で補えればそれが一番でしょう、どうしても難しければ俗にいうサプリメントで補う、それが現代でできる一番の自分への思いやりと考えるわけです。
長文になりましたがサプリメントは人の数だけ必要です。みんなに良いというものは数えるほどしかありません。自分に合ったものを見つけてそれを補いながら食を続ける時代が今、ではないでしょうか(^−^)。
読んでいただきありがとうございました(^−^)
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